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メッセージ


歌にのせて人権のメッセージ
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これは『えひめ雑誌』2000年1月号に掲載した私のエッセイです。

 驚いている。多くの方に自分の拙い歌や話を聞いていただいた。3年前に野村町の人権のテーマソング「日だまり」をつくって県内外講演が150回を越えた。小学校、中学校、高校、女性の集まり、公民館、福祉施設、身体障害者療護施設、エイズキャンペーン、成人式など、そして、自分の表現活動を形に残しておきたい、その思いだけでCDアルバム3枚「日だまり」「夢の木」「幸せのために」を自費出版した。                               
 多くの人に支えられ、助けていただいた分だけ反響を呼んだ。中でも聞いてくれる子どもたちの輝く目が私の創作活動の原点とエネルギーになった。それは私自身が「後から歩いてくる人のために生きている」と気がついた瞬間でもあった。                       
 人々がよりどころのない不安感を持ち、何か確かなものを求めたり、乾いた心に潤いや感動を求めているのが伝わってくる。そしてそのベクトルは「生きる」ということに、こだわりをもったり、関心をよせたり、本当の豊かさを考える方向に向かっているようだ。              
つまり、自分自身を見つめる時代に入ったときに、他者とと自分の人権を考えずに、豊かさは得られないことが何となく、実感されてきたようにも思う。                      
  私は高校の現場にいる一介の教師であるが、社会教育を通して、ある行政マンと知り合ったことが転機となった。それは野村町の土居眞二さん。アドベンチャースクールや農業小学校を企画した自然と地域と人間を愛する人である。彼と二人で「命を輝かせている人は差別しない。命を大事にすること、それが文化だ、人の命をないがしろにしているのが差別である」という感性の上に、「気づくこと、見いだすこと」の大切さを加えて訴えた。人権による町づくりと人づくりが融合しながらテーマとなった。それは行政と教育と地域社会が合体したようなコンサート、いやメッセージ活動になった。                                     
「〜らしく」ということがもはや、意味をもたなくなってきている。私たちの場合も、「らしい」という領域を越えてしまったらしい。複合的な存在がユニークだといわれる。              

今後は職場や肩書きや一つのの枠にとらわれない人がボランティアや社会貢献活動の分野で増えてくると思っている。多分その中から自己実現や自尊感情といった「生きるよろこび」が創出されていくだろう。                                         
人々が、序列や肩書きや「らしさ」という意識から、そして支配と抑圧から解放されたとき、「本当に幸せになる」ということが少し伝わった。同和教育や人権教育は、こんなにやさしく愛に満ちたものということが少し伝わった。                                  
女に生まれるか、男に生まれるか、障害があるかないか、どんな体格か、そしてどこに生まれるか、みんな選べない。自分の責任じゃない。だからそんなことに一切責任をとる必要はないよ、人権文化はむずかしくない、楽しく、みんなで幸せを考えることだと訴えている。     

「とかくこの世は住みにくい」という人がいる。それならいっそのこと、世間を変えてしまおう。個人が世間に合わせる時代から、世間が個人に合わせる時代になった。ひそかに、人権文化を大衆の文化に・・・・と思っている。                                   
希望はいつもある。                                        

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